県道道メモ(2004年10月31日)

新潟県中越地震について

まず初めに、今回の新潟県中越地震で被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げ、また亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

私の故郷は新潟県中越地方にあります。今回の地震の震源からは少し離れており、実家に電話したところ、揺れはもの凄かったが、棚から物が落ちた程度で、家が崩れたり避難が必要だったりということはなかったとのことでした。

今回の地震で、長岡市の隣にある山古志村では、村民全員が村を離れ避難することになりました。私は18歳で原付免許を取った最初の夏休みに帰省したときに、原付バイクで訪ねたのが山古志村との最初の出会いでした。それまでは自転車が自分にとって最大の乗り物だったのが、原付とはいえ行動範囲が広がる乗り物に乗れるようになったのがとてもうれしかった記憶があります。山古志村は山間部の村で、いたるところに棚田が広がり、また道路は棚田を縫うようにクネクネと曲がりながら進む道で、家からそんなに離れていないところにこんなに素晴らしい風景がある村があったのかと感激しました。

その後も年を重ねるに従い、山古志村に何回か訪れました。国道291号の中山隧道に初めて出会ったのが1993年の夏です。現在ではインターネット等でかなり有名になりましたが、私は当時はこの隧道についてはまったく知らず、現地でいきなり現れた素掘りの隧道に恐怖感を覚え、通り抜けることができず引き返して来ました。

テレビに映し出される、山古志村の変わり果てた姿を見るにつけ、以前の美しい村の景色はもう戻らないのだろうか、人々の暮らしはもう元には戻らないのだろうか、というようなことを考えます。

山古志村の他にも、地震で多くの方々が亡くなり、負傷し、また避難生活を余儀なくされているのを見て心が痛みます。今回改めて思ったのは、電気・電話・ガスなどと並び、道路というものがいかに人々にとって重要な存在であるかということです。道路が寸断され孤立した集落が多数発生し、避難に長い時間がかかったこと。大動脈の高速道路や国道が各地で通行止になり、救援物資の搬送や人的支援が困難な現在の状況。普段からなにげなく使っている道路というものが、人々にとって身近な存在で、かつ生活に欠かせない存在であるということを再認識しました。

そして、長岡市妙見町の信濃川に面する新潟県道589号(小千谷長岡線)で起きた土砂崩れで、母と女の子は死亡が確認されましたが、男の子は奇跡的に4日ぶりに救出されました。92時間もの間、岩で埋まった闇の中でじっと耐えていた2歳の小さな命。新聞のコラムでも書かれていましたが、私も信濃川を映し出すテレビの画面がかすんで見えました。そしてこれはまぎれもなく、県道で起きたできごと。

今回の震災は私にとって、道路に対する認識、および県道に対する認識に少なからず影響を与えたような気がします。今はうまく言葉には表せないけど、今後も少しずつでいいから、道路という対象を追い続けていきたい。道路に関するいろいろなことについて調べていきたい。そんなことをぼんやりと考えました。