(18) 1991年8月20日 — 都城・日南・宮崎

曇り のち 雨 のち 大雨 暴風


Diary

8月20日の行程図

霧島神宮は寄るつもりはなかったのだが、朝メシ買って食いながらチラッと見た。ニニギのミコトをまつってるっつーことだが、どんよりした曇り空なことだし早々に立ち去った。

R222は「キテル」道だった。峠のトンネルなんてもう骨董品って感じだった※(1)。そしてついに雨が降ってきた。いよいよ台風が九州に接近してきたようだ。

Note
※(1) 1991年当時の上熊隧道です。現在は新上熊トンネルが完成してR222はかなり整備が進んでいるようです。

日南から海岸沿いのR220を走って、いよいよ雨風がひどくなってきて、海は大しけになり走っててバイクが何度も飛ばされそうになってマジでやばくなってきて、避難したらそこがサボテン園ってとこだった。もう死にそうだった。そこで昼メシにサボテンのお茶漬(600円)食って、品川ナンバーのZZ‐R400の奴と知り合いになった。ほんとにひでー暴風雨だなーとか言って、それでも出発した。「自分のペースで走りたいから」ということで、青島で待ち合わせすることにしてそれぞれ別々に走った。

青島に着いたら彼がいて、2人で風雨のなか観光した後、彼がこの先にキャンプ場があるとか言う話をしたので、次は日向新富駅で待ち合わせにして、またばらばらに走った。

宮崎に着いた頃には風はまだすごかったが雨はだいぶやんできた。一ツ葉有料道路は、ツーリング出発前に想像した、まるでロサンゼルスかサンタモニカのような雲ひとつない青空の下のフェニックス並木、というイメージとは全く違ってしまったが、それでも嵐の中の海沿いのフェニックス並木というものもまたいいもんだと思いながら走った。途中のパーキングでオッサン2人とけっこう長い時間話した。

午後4時、日向新富駅で再び彼に会った。「キャンプ場はどうだった?」と尋ねたら「テントが全部吹っ飛ばされてて管理人もいなくて全然ダメ」ってことで、彼が「仕方ないから今晩は日向港のフェリー乗り場で寝よう」と言ったので、今度は日向港のフェリー乗り場で待ち合わせにしてまた別々に走った。途中で見つけたコインランドリーでたまった洗濯物を全部洗った。(昨日のも完全にかわいてなかったので乾燥させた。)

午後7時、日向港に着いた。フェリー乗り場の待合室でボーッとしてたら午後8時30分になって追い出されてしまった。ここで寝る計画は見事にくずれた。オレはもう彼と一緒にいるとうるさいのでひとりになりたかったから、なかば強引に彼に別れを告げ、R10を北上してこの土々呂駅まで来た。

それにしてもあいつはヘンな奴だった。青島神宮に着いたとたん彼のバイクのカギの鈴がはずれて「これは不吉の前ぶれだ」とかいって、神社のみやげ売り場の人に「いま神社に入ったとたん鈴が取れたんですけどどうしたらいいですか」とかきくし、そのあとおみくじ買ったらまた「このおみくじは木にしばったらいいんですかそれとも持っていた方がいいんですか」とかきくし、そんなのおまえの勝手だろって感じ。でもいい奴だったのでフェリー乗り場で別れぎわに彼の写真を1枚とった。

ほんと変な奴だったなあ。

本日の走行距離: 261km。


Photo

[霧島西口駅の朝]
霧島西口駅の朝。
[R220]
暴風雨の中のR220。海は大しけ。
[青島神社]
青島神社。あまりの雨風で死にそうだった。
[一ツ葉有料道路]
一ツ葉有料道路。

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