(17) 1991年8月19日 — えびの高原・霧島温泉

薄曇り


Diary

8月19日の行程図

朝起きて(なんと午前9時30分)、まだ沖縄行くかどうか決めてなかったが、今日もまだ台風は通り過ぎてないだろうから行くとすれば明日だなと何となく考えながら、昨日来た道を戻っていった。

隼人に着き、昨日の昼と同じうどん屋でメシを食った。店のテレビを見たら何だかロシアでクーデターが起こったらしい。しかしオレの方は今後の予定を立てなきゃいけないのに、どうしたらいいのかわからなかった。このまま台風を過ぎるまで鹿児島で待ってたら時間がどんどん過ぎてしまう。でも沖縄には行ってみたいし……。何だか疲れも貯まってたし、今までのオレの悪い性格「優柔不断さ」が出てしまった。

迷ってても仕方ない。今日は沖縄には行けないんだから、と思ってとりあえず山の方角へ向かうことにした。でも途中ですごく眠くなってきて、まじでどっかで寝ようかと思ったが寝る場所がないままえびの高原まで来た。ここで顔をビオレで洗ったらやっと目が覚めて、少し観光してから戻って、霧島温泉郷の一角にあるホテルでフロ入った。いかにもこのあたり一帯を牛耳っている財閥って感じのホテルで、入浴料に820円も取りやがった。絶対に元を取ってやろうと思い、服をいっさいがっさいフロ場へ持ち込んで全部洗ってやった。洗い終わってから自分もずっとフロにつかってて、結局そこに3時間もいてしまった。

もうすっかり暗くなって、今夜の宿駅を決めてからメシ食いに行った。すし屋だったが看板には定食とも書いてあったので入ってみたら、定食はないと言われた。だまされたと思ってしかたなくすしを頼んだら、オッサンがすごく気さくな人で、いろいろと話をした。台風はまだ来てなくて明日の夜頃に種子島あたりに上陸と聞いて、この時点でオレは沖縄行きをキッパリとあきらめた。そして帰ろうとしたらお代はいいからって言われて、オレは感謝とうれしさでいっぱいになった。「またいつか立ち寄って」と言われ「はい、いつか絶対に」と答えた。ほんとうにうれしい気持ちでいっぱいになった。

本日の走行距離: 165km。


Photo

[土管ベッドの朝]
土管ベッドの朝。カプセルホテルに見えなくもない。
[県道1号]
えびの高原を貫く県道1号。

※写真をクリックすると拡大表示します。