(11) 1991年8月13日 — 浜田・萩・下関

晴れ ときどき 曇り


Diary

8月13日の行程図

太田川の河原の朝は非常に寒かった。朝露が降りて、ただでさえ湿っているシュラフがこれで一気にビチャビチャになってしまった。出発前はTシャツ、長そでシャツ、トレーナー、カッパの4枚を着こんだが、益田のあたりから急に暑くなりだして(午前10時頃)途中で2枚脱いだ。

今日は広島〜下関のR191完全踏破が目標だったのだが、加計町で道を間違えてR186に入っていたのに全然気づかないで、気づいた時にはもう島根県に突入していて後の祭り。R191踏破はあえなく失敗に終わった。

少し遠回りにもなってしまったが、浜田で日本海に再会。やはり瀬戸内海と日本海は雰囲気が全然違うなと思った。

午前11時、萩に到着。いつもと同じように、東萩駅前の観光案内板をながめて何を見に行くか決めて、店で昼メシ食ってから松陰神社へ行ってみた。松下村塾は思っていたよりずっと小さな粗末な建物だった。この場所で高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋らが吉田松陰から学問を受けていたのだと思い感慨にひたった。オレも帰ったら勉強しよー。

山陰のさいはて、R191はまさに超超超超超nice road! なんかそればっかりだけど、ほんと走る道がすべてniceなんだもん。R191は特に海の水がすっごいきれいで、走りながらぱっと海を見ただけでそのきれいさがわかったくらいだった。

梅ケ峠を越えていよいよ下関市に入り、そろそろ宿をさがす時間になって山陰本線の駅をはしごしたがどれも使えなくて4つめの福江駅でやっと決まった。その前のいくつかの駅のポスターで、関門海峡花火大会というのが貼ってあり、「8月13日? ゲー今日じゃん。ラッキー」て感じで晩メシ食ってから福江駅にバイクとめてJRで下関へ行った。

下関駅はとんでもない人の数だった。女の子はみんなゆかた着て、アベックも家族連れもウジャウジャいて、地理なんて全くわからなかったから人の流れについていったら岸壁に出た。ちょうどタイミングよく花火が始まった。海峡をはさんで下関側と門司側で競い合うように次から次へと花火があがる。最初は小さくて周りはすごーいすごーいとか言ってるのを横目に「なんだ全然大したことねーじゃん」って思いながらカメラのシャッターを切ってた。あんまり撮りすぎてフィルムがなくなってしまった。時間がたつにつれて花火がだんだん大きく派手になってきて、ラストは海峡をつなぐようにこっちとむこうでナイアガラのブリッジができて、「うわーやっぱすげえや」と思った。オレの九州上陸を祝福してるように思えた。

帰りの超混雑列車で福江駅に帰ると、待合室に2人のツーリングライダーがいた。「今日ここで寝るんですか」と聞いたら「ええ」と言ったので「僕も今日ここで寝ようと思ってたんです」と言ったら「どうぞどうぞ」と言われたので遠慮なくお邪魔した。’89FZR250Rの立教大生と 250カタナの明大生。2人ともそれぞれ別々に日本一周中の人たちだ。3人でビール買って飲んでいろいろ話した。「東尋坊はつまらんかったよなあ」とか「オレの兄貴の友達の知り合いが石田ひかりと同級生だった」とか「オレの友達のバイト先の奴が渡辺美里と飲んだことがある」とか2人が話すのを聞いて、オレは腹かかえて笑った。

そうやって結局夜中の1時まで話してて、ベンチには2人しか寝れないのでジャンケンしてオレが負けて床で寝た。こんなにしゃべったのはほんとに久しぶりだった。今までずっとひとりで、笑い方まで忘れたんじゃないかと思っていた。笑ったのも久しぶりだった。

本日の走行距離: 236km。


Photo

[太田川の河原]
太田川の河原。バイクのあるあたりで寝てた。
[松下村塾]
松下村塾にて。
[R191。]
山陰のさいはてR191。
[関門海峡花火大会]
関門海峡花火大会。右が下関側で左が門司側。

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