(10) 1991年8月12日 — 平和記念公園

晴れ 、暑かった。


Diary

8月12日の行程図

サウナはよっぽど寝心地がよかったのか、午前10時30分までぐっすり眠ってた。起きてサウナを出て、「さあ今日は広島を観光しよう」と思いながら駅前に停めておいたバイクの所へ行き、愕然としてしまった。

カギが壊されている。いくらカギを差し込んで力を入れても、ハンドルロックの所からカギが回らない。オレはもう完全に途方に暮れて頭がグラグラしてきた。「とりあえずバイク屋に連絡」と思い、電話ボックスに入りタウンページでYSPの店を探して電話してみた。「今ヤマハが盆休みだから直るのは少なくとも20日ぐらいになるよ」と言われて、電話を切ってオレは完全に頭がおかしくなって、ヨタヨタ広島駅前をフラフラさまよっていた。「これから青春18きっぷ買って電車での旅に切り替えるか」とほんとマジに思った。

YSPの人が現場に来て、その場でカギを完全に壊してハンドルロックを解除して、FZRをトラックに積んで「じゃ乗って」と言われてトラックでYSPへ。「部品が店に偶然余ってたから、もし合えば今日中に直るよ。まあ盗まれなかっただけでもよかったじゃない」と言われて、オレは神にすがる思いで店の中で待ってた。

午後3時、「直ったよ」と言われて、オレは何度も何度も礼を言って、YSPをあとにした。あんまりうれしかったので、出がけに店の写真をバイク込みで1枚撮った。メットをかぶってエンジンを始動させた時、「じゃ気をつけてね」と声をかけられて、オレは涙がでるほど感謝の気持ちでいっぱいだった。

平和記念公園はけっこう広かった。そして迷わず平和記念資料館に入った。オレが当初の予定を変えて、わざわざ中国山地をこえて広島に来たのはこのためだと言っても過言ではない。46年前のヒロシマをこの目で見るために、山陰の海岸をたどる予定を変えたのだ。平和記念資料館はショックの連続だった。建物を出た時の心の中は、入る前のそれとすっかり変わっていた。何か心がやさしくなったというか、今までのどこかひねくれていたものがすっかりとれて素直な気持ちになったような気がした。うまく言葉で表せないけど。原爆の日の直後だったので公園のあちこちにあるモニュメントに花や千羽鶴がたくさん置かれているのを見て、さっきまであんなトラブルがあって広島になんか来なきゃ良かったと思っていたのが、やっぱりそれを差し引いても広島に来て良かったと思った。今、この時代、この年齢の時にヒロシマを見ることが大事なんだと思った。

大渋滞の市内を抜け、今晩は可部線のできるだけ遠くの駅に泊まろうと思い、R54を走っていたのだが、途中の可部駅あたりでホカ弁を買って食ったらもう走る気しなくなって、その弁当食った太田川の河原を今日の宿に決めて、今FZRのヘッドライトを頼りにこの日記を書いている。初めての「本当の意味での野宿」である。

本日の走行距離: たったの30km。


Photo

[YSP広島南]
YSP広島南。本当にありがとうございました。
[平和記念公園]
平和記念公園。
[原爆ドーム]
原爆ドーム。

※写真をクリックすると拡大表示します。