2001年7月3日 作成
2007年12月31日 更新
2001年6月23日〜24日の2日間に分けて、国道361号を全線踏破してきました。
国道361号は岐阜県高山市から長野県高遠町へ至る国道で、途中2ヶ所(姥神峠と権兵衛峠)の自動車通行不能区間があるのですが、その区間には登山道があり、歩行者は一応通行できます。国土地理院発行の地形図では、その登山道区間も国道として色分けされているため、今回はその部分も含めて全区間を踏破しました。ただし権兵衛峠の登山道区間の迂回路として使われている車道部分は今回は通りませんでした。
その旅行記をお送りします。
※このページ内にある写真は、クリックすると拡大します。
2001年6月23日午前9時、新宿駅発のあずさ53号に乗車(写真1)。特急に乗るのは久しぶりです。でも「スーパーあずさ」ではないため、思ったよりゆっくり走ってます。山梨のブドウ畑を過ぎ、塩尻駅に11時46分到着しました。
塩尻駅改札口で名古屋から車で来る友人2人と落ち合うはずなのですが、友人の姿は見当たらず…。ほどなくPHSのベルがなり、遅れるとのこと。仕方ないので駅のベンチに腰かけて、特急の中で読んでいた「Black Jack」の続きを読んでいました。
30分くらいして友人たちが登場。すぐに車に乗り、まずはメシということで、有名な(?)国道20号終点の角にあるロイヤルホストに行ったのですが、駐車場は満車。どうしようと思ったら反対側のカドにデニーズがありました。とりあえずそっちに行ったらそっちも駐車場は混んでましたが、数台だけ空きがあったのですかさず停めて、デニーズで昼食。
お腹いっぱいになり、いよいよドライブスタート。塩尻から農道と県道を使って波田町でR158へ合流。すぐに、とってもボロボロなR158おにぎりを発見!(写真2、3) 近くでマジマジと眺めると、なんか青い板にボール紙を当てて白いスプレーを吹きかけたような感じでした。
R158を通るのはこれが3回目です。1回目は学生時代の1991年に九州へのツーリング途中で、2回目は就職してから1996年頃に今回の友人たちと富山県のR472&R471ツアーの帰りに通ったものでした。でも3回目の今回は長大な「中部縦貫道・安房トンネル」ができており、信州と飛騨の往来がとても楽になりました。
でもそのトンネルまでの長野県側の道は相変わらず狭い。一応2車線あるのですが、トンネルまたトンネルで、トンネル内に道路の分岐点があるという恐ろしい所もあります(写真4、5)。
わずか約5分で安房トンネルを抜けると料金所があり、普通車750円も取られてしまいました(写真6)。岐阜県側のR158は良好な道でした。高山市中心部の少し手前でR361交点があり、いよいよR361の始まりです。
R361に入ってしばらくは2車線の良好な道でしたが、予想通りすぐに1.5車線になり、クネクネカーブを曲がりながら走行しました。
高山市と久々野町、朝日村にまたがる「美女峠」で車を停め、最初のR361おにぎり撮影タイム(写真7、8)。撮影してたらそのそばに「旧江戸街道入口」の石碑が立っていました(写真9)。石碑に書いてある文を読むと、この道は高山から野麦峠を経由して江戸へ向かう重要な公道だったそうです。
へえーそうなんだ、と感慨にふけってたら、もうひとつ変な看板を発見(写真10)。「春は桜、秋は紅葉の美女峠」と書いてあるのですが、看板が色あせてもう見えないほど古くさい。看板に書いてあった落書きに「昭和47年」と日付がついているものがあり、つまりはそれ以前からある看板だよなあと感動しました。友人の持ってたツーリングマップルには、美女峠に「寂しい峠。美女のいる気配はない。」と注釈が書かれていて、うんうんその通りだと3人で納得しました。
美女峠を過ぎてからも、朝日村〜高根村と続く道は、山あいのいくつものダムの脇を通り抜ける非常に狭い道です。最も山奥の「高根第一ダム」でトイレ休憩。壮大なダム湖と骨董品クラスのトンネルとの調和がとても面白かったので、360度パノラマで写真を撮ってみました(もちろん自動パノラマなんて機能はなく、首を回しながらパチリパチリとシャッターを切っただけ)。(写真11)
いよいよ周囲の山も険しくなり、岐阜〜長野県境の長峰峠のちょっと手前で、今夜の宿である「濁河温泉(にごりごおんせん)」へ向かうため、R361にしばしの別れを告げ、岐阜県道463号(朝日高根線)へ入場(写真12)。地図上ではその交差点に「オケジッタスキー場」というのがあるはずなのですが、確かにそれらしき広場はあるのですが、なんとリフトがない!(写真13) スキー場がつぶれるなんてことがあるのか? 友人の説では「この奥に『チャオ御岳スキー場』という立派なヤツができたから、ここは客が来なくなったのではなかろうか」とのことでした。それにしても「オケジッタ」って何なんだろう? これから行く県道463号にも「オケジッタロード」という名前がついている。友人はどうしても「オジケッタ」と言い間違えてしまうそうです。
R361を外れ、今夜の宿である「濁河温泉」へ向け、岐阜県道463号から435号(御岳山朝日線)とつないで走りました。夏至直後とはいえ、さすがに山あいのこのあたりでは6時を過ぎると夕暮れに包まれています。しかし、快適に走っていた県道435号が、「チャオ御岳スキー場」の入口を過ぎると同時に一気に道幅が半分以下になってしまいました。対向車がきたらすれ違い不可能なくらい。つい最近までペーパードライバーだった私なんかは助手席でヒヤヒヤしましたが、運転暦10年以上の友人は割とスイスイ走っています。
険しい県道は濁河峠(朝日村〜小坂町の境)にさしかかり、ここで撮影タイム(写真1)。峠の下りも相変わらずで、ほどなく県道441号(落合飛騨小坂停車場線)との交点、濁河スキー場前へ到着。ここは本当に山あいのそのまた山奥にある県道交点ですが、こんな場所にも立派なそとばの串刺しが!(写真2、3、4) 岐阜県はお団子王国でもあるし、感激しました。
この交差点からさらに県道435号を登り、午後7時に濁河温泉へ到着。ここはなんでも「温泉街としては日本一標高の高いところにある」のだそうです。確かに思ったより旅館の数が多い。立派な温泉街になっています。
その中の「濁河温泉湯元館」が今回の宿。1泊2食つき1万2千円と値は張りますが、夕食には飛騨牛やイワナの塩焼きが出され、とってもおいしかったです。露天風呂もあり大満足! 部屋に帰ってから友人3人と国道談義で盛り上がりました。寝たのは結局何時だったんだろう? けっこう酔っ払ったのでイマイチ覚えてない…。
2001年6月24日の朝になりました。朝食もとてもおいしかったですが、外はかなりの雨。天気予報では今日は一日中雨らしい。まあ梅雨の時期だから仕方ないと思い、今日の峠を徒歩で踏破する計画はキャンセルだな、と落ち込みながら、昨日来た県道をR361へ向け戻りました。
しかし県道にはまだまだ変なものが!(写真5) 昨日は気付かなかったけど、これはひょっとして、「日本特異点紀行」などで有名な昭和30年代の道路標識ではないのか? しかしそれにしては「警笛鳴らせ」と「車重制限14トン」が何だか重なり合っているように見える。2つの警告を1枚の標識で間に合わせているのか? それにしても、私はこの昭和30年代の道路標識(じゃない可能性は高いけど)を見たのは初めてだったので、非常に感激しました。
また、県道463号の朝日村〜高根村の村境の標識は死にそうなくらいオンボロでした(写真6)。
ハアー、やっと昨日のR361地点まで戻ってきた。いよいよR361の2日目スタート。すぐに長峰峠を越え、長野県へ突入。我々の次の目標は「R361 RUTOEおにぎり」を探すことです。国道標識では通常数字の上に「国道」、数字の下に「ROUTE」と表記されているのですが、これが何と「RUTOE」になっているものがあるらしいのです。インターネット上ではかなり有名らしいので、我々もなんとしても探し出さねば…。
長野県開田村にある、という情報は持っていたので、車をゆっくり走らせながら、おにぎりを1個ずつ確認しました。そして反対車線にあるおにぎりをフッと振り返ってみると、「あったー!」(写真7、8)
車を停め、あらゆる角度からその標識を眺めてみました。でも当たり前ですがどこから見ても「RUTOE」と書いてある。どうしてこんなものができてしまったんでしょうね。われわれが10分くらいそこにいる間に約5台の車が通りましたが、何の変哲もなくただ通り過ぎていきました(当然か)。
それにしても、国道標識がおにぎり型をしていて本当に良かったと思った瞬間でした。もしこれが単なる丸型や四角型だったら、反対車線の標識の場合見つけるのが超大変。県道のヘキサ型標識もそうですが、昔の人はよくぞやってくれた、と称えたいと思います。
しかし、この長野県開田村、この他にも面白いものがありました。1つ目はまたまた見つけたスプレー吹き付けオンボロ標識(写真9)。もう1つはおにぎりの形をした村道標識(写真10)。このタイプの市町村道標識は全国ではいくつかの場所にあるらしいですが、私が実際に見たのはこれが初めてでした。
開田村から木曽福島町までの道のりは、立派な新地蔵トンネルができていました。旧道である地蔵峠方面への道を少し入ってみたのですが、国道標識等はなく、格下げになった可能性が高いかも知れません。
木曽福島町でR19に交わり、ここから約6キロの間はR19との重用区間です。予想外に雨があがり、少々晴れ間も見えてきました。「これは峠越えに行けるか?」とワクワクしてたら、他の友人2人は「峠越えするんなら、俺たちは峠の向こうまで車で回り道するから。」えー。峠越えをオレひとりでやるのー。まあいいか。途中「道の駅日義木曽駒高原」で休憩し、コンビニで私はこれからの峠越えに必要な食料と水を確保しました。
日義村の山吹トンネル手前でR19と別れ、再びR361単独区間が始まり、いよいよ第1の交通不能な峠「姥神峠」を目指します。ここは数年前から自動車道路をトンネルで通すための工事が行われており、工事はかなり進んでいるようでした。数年後には完成しそうな雰囲気でした(写真11、12)。
そしていよいよ、日義村神谷集落内の自動車通行不能区間の入口に到達(写真13)。この地点の民家には犬が飼われており、カメラを向けたら突然ブルブル震えだしました(写真14)。とても怖がりの犬のようです。何だかかわいそう。
現在の時刻はちょうど正午。「じゃあ、おそらく50分くらいかかるから、12時50分に峠の反対側で待ち合わせしよう。もし1時20分までに来なかったら、引き返したと見なしてここまで戻ってくるから」と軽い打ち合わせをして、友人2人は車に乗り込み、私はいよいよ姥神峠徒歩踏破にむけ、歩き始めました。
姥神峠へ向かう登山道国道は登りが結構キツイ(写真1)。途中で沢を越えたりする箇所もありましたが、地図をもってなくても迷子になることはないほどわかりやすい道でした。
約25分で峠頂上に到着。峠には鳥居が立てられていました(写真2)。こういった場所に来るたびに思いますが、こんなデカイ鳥居を昔の人は背負って運んできたのかなあ? 鳥居のそばにはお手製の道しるべもありましたが、これがなんと倒れてる(写真3)。天気が良ければ御岳山の雄大な景色をここから眺めることができるらしいのですが、さっきまで雨で今やっと曇りになったところなので、御岳山は見えず。残念。
峠で10分ほど休憩して、反対側へ下り始めました。約束では12時50分に待ち合わせなので、15分で降りないといけない。大丈夫かなあ?
楢川村側の下りの山道は、登りとはうって変わって草ボウボウ、藪をかき分けての道になりました(写真4)。しかし途中からついに晴れ間が見えてきました。天気予報が大はずれ! 日ざしは完全に夏のものでした。登りで汗ダラダラかいたのに、下りでも日ざしのせいで結構汗をかきました。
下りの道の途中で「自然ゲート」を発見(写真5)。ただ単に木が倒れてて山道を塞いでいるだけ。仕方がないのでくぐって越えました。これも国道にあるゲートの1つと見なしてよいであろうか。
下りは楽な道だったのですが、写真をパチパチ撮りながら歩いたので結構時間がかかってしまい、下りも登りと同じく約25分かかり、午後1時、ようやく楢川村羽渕の集落が見えてきました(写真6)。
1時20分までに友人たちが待ってる場所まで行かないと、引き返したと見なされて彼らは戻ってしまう。急がなきゃ、と思い、集落内を抜け(写真7)、ようやく舗装路面になりました(写真8)。そしてしばらく歩いて、県道との交点に到着。友人たちの車が待っているはず…、なのですが、いない。おかしいなあ。途中で道草してるんじゃないのか? と不審に思いました。
ここのR361の地点までは3年ほど前に一回来たことがあったのですが、確かその頃はここにバス停があったはず…。でも付近は、姥神トンネルの工事中で、すぐ近くにトンネルがパックリ口を開けています(写真9)。この工事のせいでバス停は取り壊されたのかも知れない、と思い、心細くなってきましたが、ここで待つことにしました。
1時20分、向こうから友人たちの車がやって来た! 「どうしたの?」と私が聞いたら「R361はこっちじゃないぞ」と言われました。どうやら羽渕集落内で道を間違えて、違う所で県道へ出てきてしまったようです。正しいR361と県道との交点にはやっぱりバス停があるらしい。私はR361を絶対全線踏破したかったので、早く車で走りたがっている友人を拝み倒して、今来た道を歩いて戻って、間違えた地点から歩き直しました。
どうやら集落内の写真10の地点で、私は左の道を行って間違えたようです。ここは右の道を行くのが正解。この地点には何と「道祖神」が立っていました(写真11)。道祖神なら道教えてよー。クソー道祖神め、と思ってしまいました(バチ当たり)。
正しい道を歩き、正しい長野県道493号(姥神奈良井線)交点へ到着(写真12)。やっぱり羽渕バス停は3年前と変わらず残っていました(写真13)。
私は汗をダラダラ流していたのでTシャツを着替え、車に乗り込み、次は2つ目の峠、権兵衛峠へ向けてスタート。…と思った矢先、R361のはずの地点に県道493号のヘキサが立ってる(写真14)。友人たちと協議の結果、これはヘキサを立てた位置が間違っているのだろうという結論に達しました。
さて、もうすっかり雲も晴れ、快晴になってきました。ウキウキ気分でR361を走っていると、ドカーンと工事中のトンネルが現れました(写真15)。これが権兵衛峠を貫くトンネルです。このトンネルも完成は数年後のようです。
【以下、異論のある方もいらっしゃるかも知れませんが、権兵衛峠登山道(交通不能区間)を敢えて「R361本道」、峠から伊那市へ降りる車道区間を「R361迂回路」と呼ばせていただきます。】
約20分ほどで権兵衛峠の展望所(楢川村〜南箕輪村の村境付近)に到着。ここは車が停められる広いスペースがある場所です。ここで遅い昼食にしました。ベンチに腰かけ、パンを食べながら眺める伊那市街と南アルプスの山並みは最高でした(写真16)。公衆トイレがあったのでトイレタイム。このトイレの脇から、峠の頂上へ向けた遊歩道があるのですが、友人の話ではここはR361本道ではないらしい(写真17)。本当のR361本道の入口は、この展望所から数百メートルほど手前(楢川村側)にあるそうです。地形図を見せてもらったら確かにその通り。というわけで、展望所から少し車で戻り、その本当の入口に車を停め(写真18、19)、とりあえず峠頂上まで3人で登りました。
わずか1分で権兵衛峠頂上へ到着。その昔「古畑権兵衛」さんと言う人がいたらしい(写真20)。現在の時刻は午後3時。さっきの姥神峠のような待ち合わせですれ違うことがないように、今度は綿密に打ち合わせを行いました。友人たちから「俺たちはR361迂回路を経由して下に行く。R361本道のふもとには車両通行止めのゲートがあるはずだから、そこに4時30分に待ち合わせにしよう。もし5時までに来なかったら捜索願いを出すから」と言われ、ビビリながらも、私は再び友人と別れ、峠からふもとへ向けて歩き始めました。
権兵衛峠は先ほどの姥神峠とは違って、登山道は頂上から下るだけなので体力的には楽です。でも距離は姥神峠より長いので、根気との闘いになりそうです。道そのものはきちんと足跡がつけられていて迷子になることはなさそう(写真1)。
ただし、前夜までの雨により道がぬかるんでたり、沢を渡ったりする場面もありました(写真2)。そしてハイライトとしては、大きめの沢に渡された3本の丸太を渡る場面(写真3、4)。この丸太の橋も国道361号なのです。
この権兵衛峠登山道は登山愛好者にはメジャーらしく、また江戸時代からの由緒ある街道でもあるようで、途中にいくつか看板が立てられていました。そのうちの1つが「七曲り茶屋の跡」の立て札(写真5)。昔はここに茶屋があり、昭和初期までは権兵衛街道を行き交う人々で賑わいを見せていたそうです。
写真を撮りながら山道を下っていたので、予定より相当時間が遅れてきています。捜索願を出されるのはまっぴらなので、急いで歩を進め、峠を出発してから1時間15分後、午後4時15分にようやく舗装路に出てきました(写真6)。ただし車両通行止めのゲートはまだ当分先です。
舗装路に出る少し前から、壮大な権兵衛峠道路の工事現場が見えてきました(写真7、8)。舗装路に出て来た場所から上を見上げると、あまりの雄大さに目を見張るばかりです。
さて、待ち合わせ時刻が近づいてきたので、舗装路の本道を急いで歩いていると、ガーン! 前方をブルドーザーが塞いでいる(写真9)。なんとかブルドーザーの脇をすり抜けて先へ進んだのですが、目の前には土砂崩れの巨大な山が! 崖の上がちょうど権兵衛峠新道の工事現場で、そこから土砂が下に流れ落ちて道を塞いでいるのです。なんとか山を越えようとしたのですが、転んで手をすりむいてしまった。嫌になったのでブルドーザーのところまで戻って、泣く泣く工事車両用の迂回路(約200メートル)で迂回しました(写真10)。迂回路から土砂の山を見上げたのが写真11。土砂流出の元になっている所が新道の工事現場です。
さらに急いで舗装路を歩き、午後4時40分(予定より10分遅れ)、ついにゲートまで到着(写真12)。友人たちが待っていました。私は思わず大きく両手を振ったら、彼らも手を振ってくれましたが、彼らはもう待ち疲れたみたいで手の振りが鈍かったような…。
友人たちが私の姿を見てびっくりしていました。なんと手足や体じゅうが虫に刺されたように腫れあがっている。確かに虫は私の周りをずっとブンブンしてたけど、この腫れかたは尋常じゃない。「ひょっとして植物かぶれか?」とも思ったけど、かゆみとかはなかったので、おそらくさっき峠の展望所で食べた玉子パンでじんましんがでたらしい。案の定、その後30分ほどしたら腫れはスーッと引いていきました。
シャツを着替え、さっき転んだ場所についた土をパンパンと払い、車に乗り込みました。
ゲートから、伊那市与地集落内を通り(ほとんどが廃屋だった)、ようやくR361の2車線道路の地点(長野県道203号与地辰野線との交点)までやってきました。ふっと後ろを振り返ると「国道361号 3km先通行不能」の看板があり(写真13)、やっぱり私が通ってきた道はR361だったのだと最終確認しました。
この地点の角には、建設中の権兵衛峠道路の工事事務所に併設して資料館があり、見学が可能です。さまざまな資料が展示されているのを見ながら、由緒ある姥神峠、権兵衛峠を自分の足で歩くことができて、とても幸せな気持ちになりました。権兵衛峠道路のパンフレットがあったのでもらって来ました。8ページのパンフレットは国道ファンには垂涎の内容になっています。
あとは快適な2車線道路を一路伊那市街へ。…と思ったら、伊那市中心部でも道が結構カクカクしており、途中1.5車線や踏切などもあって面白かったです(写真14)。
伊那市でR153交点を過ぎれば、あとは典型的な郊外型道路になります。高遠町まで一直線。午後5時30分、終点であるR152交点(高遠郵便局カド)にて、めでたくR361全線走破達成(写真15、16)。私は達成感と心地よい疲労感で幸せな気分でしたが、友人たちは運転疲れと待ち疲れで結構疲れた様子でした。私の変なお願いを快く受け入れてくれた友人2人に対して、感謝の気持ちでいっぱいでした。
国道を1本制覇する、これって最高の趣味ですよね! (おわり)