2001年9月3日 作成、2003年4月22日 更新
石岡市は茨城県南部に位置し、水戸市と土浦市の中間にあります。両方の市に比べると印象の薄い感はありますが、実は平安時代に「常陸国」の国府(現在でいう県庁所在地)が置かれた、大変由緒ある町なのです。2001年8月の暑い日に停車場線ぶらり旅をおこないました。
さて、JR常磐線の石岡駅に到着。現在はここから遥か彼方の東京へ通勤している人々もたくさんいらっしゃるそうです。
さて、駅から前方に目を向けると…。
がーん! 駅前のデパートがつぶれてる。建物の上に何も書いてない。
元はどこの店だったんだろう?
駅前のロータリーの中心にあったモニュメント。「ようこそ 歴史の里 石岡へ」。うんうん、いいなあ。
しかし、その裏側には何が書いてあるかというと…。
「茨城県名発祥のまち」。ええーっ本当?
この後、家に帰ってからインターネットでちょこっと探したのですが、その根拠となる資料は見つけられませんでした。
さて、石岡停車場線ぶらり旅スタート。
駅前から垂直に伸びる典型的な地元商店街になっています。
その商店街を歩道からながめたところ。
歩道には屋根もついていて、なかなかいい雰囲気です。
石岡停車場線の中間付近にある「八間道路」バス停。
「八間道路」ってこの道のことかなあ? 道幅が八間ってこと? それとも道の長さ? 古い度量衡には全くといっていいほど不案内な私にはわかりませんでした。
終点の交差点付近にあった「御幸通り」の案内。形状はよくある形式のものですが、近くで見ると半分手書きのような、いい感じの標識でした。
この標識はあったのですが、肝心の県道ヘキサ標識はなく、ちょっと残念でした。
この後、石岡市中心部を少々ぶらぶらしながら、再び駅へ戻って電車で帰りました。今から思えば、あらかじめ予習しといて、「歴史の里」の名所をもっと観光すればよかったな、と少し後悔しました。(おわり)
(1) 上に「元はどこの店だったんだろう?」と書いた駅前の閉まっている店は、以前は西友があったそうで、1988年に撤退したのだそうです。
(2) 駅前にある「茨城県名発祥のまち」という大きな看板についてですが、やはりこれは本当のようです。石岡市の南東部に「ばらき台団地」という団地があり、その付近のどこかに石岡市教育委員会が立てた「茨城の地名発祥地」という看板があるようです。「ばらき台」という地名も茨城に由来しているようです。いつの日か場所を調べて見に行ってみたいです。
(3) 「八間道路」については、1間は約1.8メートルとのことですので、やはり道路の幅が八間(約14メートル)であることから名付けられたようです。おそらく開通した当時(いつ頃かは不明)は、周囲に見当たらないほど広い道路だったのでしょうね。