(3) 1991年8月5日 — 東京・甲府・清里

曇り ときどき 小雨 のち 雨


Diary

8月5日の行程図

さて、今日からいよいよ本格的なツーリングがスタートする。

朝出発前にテレビをつけたら天気予報で今日は大変涼しい一日になるでしょうといってたので、ポロシャツの上にトレーナーを着ていったのだが、結局今日一日まったく脱がなかった。それどころか青梅から最後までさらに上にカッパを着こんでそれでもまだ寒いくらいだった。特に清里のあたりはすっごい濃霧で、一回ヘルメット脱いだ時に吐く息が白かったのがはっきり確認された。今は8月なんだぜ。おまけに雨も強くなった。おとといについでまたもつらい一日だった。

友人のアパートはR20(甲州街道)のすぐそばにある。友人に別れを告げ、午前7時にR20をスタート。しかし予想通り(予想以上?)朝のラッシュに見舞われ、八王子までのたった30kmで2時間もかかってしまった。東京の渋滞はある程度覚悟していたがこれほどとは思わなかった。東京には住みたくないなー。

今日の主な目的はR411踏破にある。それは単にR20を走ってもおそらくつまらないだろうから、遠回りでもいいから少しでも面白そうな道を走りたいと考えたのである。なんといっても時間はたっぷりある。仙台に帰るのはいつになるんだろう? 1ヵ月後か2ヵ月後か、それは神のみぞ知る。

八王子のR16から分岐してR411スタート。ここまで来ると東京都といってもさすがに田舎になってきた。青梅市内の交差点で偶然「青梅街道」の路線名称標識を見つけた。青梅街道ってちゃんと青梅市まで来てるんだ。知らなかった。

さらにR411を西へと進み、奥多摩湖に午前11時着。相変わらず空には雲がどよーんと立ち込めている。湖の色もどこか深い憂いをたたえていた。

さらにR411を西へ、奥多摩湖を過ぎると車もほとんど通らない孤独な旅になってきた。山梨県に突入してしばらくすると峠があり、そこに峠の茶屋があったのでお昼にした。そして坂を下っていくとようやく甲府盆地に入り、家並みも車通りも増え、少し身も心も暖かくなったような気がした。甲府に午後2時着。R411全線踏破成功。

またR20に戻ったのだが、すぐにまた道を外れR141へ入った。ここらあたりがひねくれもののオレらしい。R141へ入ってしばらくすると上り坂が非常に急になった。それと同時についに雨が降ってきた。カッパを着たがそれでも寒かった。せっかくだから清里に少し寄っていこうかと思って寄ったのだが、清里駅前はあまりに狭くて車はおろかバイクも停められないし、人はもうウジ虫のようにウジャウジャいるし、道はせまくて坂だらけの所に車が大渋滞してるし、それに何といっても濃霧&雨&寒さ。清里はどうやらいい思い出になりそうもない。

夕方になり、そろそろ寝る場所を探す時間になってきた。無人駅であること、屋根つきのベンチがあること(そこで横になって寝るため)、が条件だ。地図を広げて小海線の海尻駅がよさそうだと思い行ってみたらバッチリだったのでここに決めた。日が暮れるまで少し時間があったので松原湖にいってみたが大したことはなかった。帰りに「海尻駅に帰っても、今晩寝るまではおそらく何もやることがないだろうな」と思い、とりあえずコンビニで晩メシの弁当と文庫本を一冊買った。そこの何とか言う名前の無名のコンビニは店の中でガキを暴れさせて喜んでいるというとんでもねえ店だった。

さて、日もすっかり暮れ、海尻駅の無人待合室にいる。5月に初めて1泊2日のツーリングをしたときも無人駅に泊まったのだが、やっぱり心細い。さびしい。テレビもラジオもなくひとりぼっちで全く見知らぬ土地で夜を過ごすっていうのがこんなにつらいとはね。これで日記でも書いてなかったらほんとに何にもすることがない。さっき買ってきた文庫本もなんだか読む気になれない。仕方ないので駅を出て少し周辺を散歩した。自動販売機があったので缶ビールを買った。小川に橋がかかっていたので欄干を見たら千曲川って書いてあった。へえーこれ千曲川なんだ。新潟県に入ると信濃川と名前を変える日本最長の川も、ここまで上流に来るとこんな小さな川なんだなあ。

駅に帰って来てビールを飲んだら少し眠くなってきた。シュラフを広げて中に入った。最終の汽車も出たからもうすぐここの電気も自動的に消えて真っ暗になるだろう。

これからずっとこんな淋しい夜が続くのかと思うと……。

でも自分で決めたことだからね。

本日の走行距離: 239km。


Photo

[奥多摩湖]
奥多摩湖。
[R411]
東京〜山梨県境付近のR411。
[R141]
雨と濃霧の中のR141。
[鉄道最高地点]
JR野辺山駅そばの鉄道最高地点。

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