2003年3月21日 作成、 2005年2月23日 更新
ご承知のように、いま全国各地で市町村合併についての論議が盛んに行われています。茨城県でも各地において合併論議が行われていますが、今回は割と珍しいケースをご紹介したいと思います。
茨城県猿島郡五霞町(ごかまち)は、茨城県西部の人口約1万人の町です。利根川流域の肥沃な土地を利用した農業(米・野菜・花き・畜産など)が行われており、また近年は工業団地が町内各地に造成され、工業生産も盛んな町です。
茨城県は南側のほとんどの部分が利根川を県境として持っていますが、その中で五霞町は茨城県で唯一、町のすべての土地が利根川の南側に位置しています。
町の西側・南側・東側はそれぞれ埼玉県栗橋町・埼玉県幸手市・千葉県関宿町と接しています。一方北側は利根川をはさんで古河市・総和町・境町と町域を接していますが、実際には長大な橋が1本(新利根川橋゠国道4号バイパス)かけられているだけです。この新利根川橋は2年前(2001年)までは有料の橋で、自動車は県内の隣の町へ直接行くのにはお金を払わなければならないという状態が長く続いていました。そのため五霞町は日常生活の上で埼玉県との結び付きが深く、通勤や通学にも栗橋町や幸手市方面へ行く住民が多数になっています。
今回のいわゆる「平成の大合併」の論議が始まり、五霞町役場では他の市町村と同様、茨城県内の近隣市町村との合併を軸に調整を進めていました。しかし住民から「埼玉県の市町と合併してほしい」という声が寄せられるようになり、町では昨年(2002年)10月〜11月に全世帯を対象にした市町村合併に対するアンケートを実施することにしました。
アンケートの結果は以下のようになりました。(五霞町役場「市町村合併に関する住民意識調査について」による)
【質問】五霞町が近隣の市町村と合併することについて、どのように思いますか。
【答え】 回答 割合 合併したほうがよい 67.4% 合併はしないほうがよい 18.4% わからない 14.0% 無回答 0.2% 【質問】「合併したほうがよい」とお答えの方にうかがいます。あなたは、五霞町が合併する場合、茨城県の市町と埼玉県の市町とどちらがよいと思いますか。
【答え】 回答 割合 茨城県の市町との合併がよい 17.1% 埼玉県の市町との合併がよい 81.2% わからない 1.4% 無回答 0.3%
おそらく町としても、これほどの大差がつくとは予想していなかったのではないでしょうか。この結果を受けて町はすぐに方針を転換。埼玉県幸手市とのいわゆる「県境越え合併」へと大きくかじを切ることとなりました。
2003年2月24日、五霞町議会は臨時会を開き、埼玉県幸手市との法定合併協議会の設置案を賛成多数で可決。同じ日に幸手市でも同案が可決され、早ければ4月にも協議が開始されることになりました。県境を越えた合併は全国で戦後になって6例あり(いずれも昭和30年代の「昭和の大合併」によるもの)、平成の大合併における県境を越えた法定合併協議会の設置は、2003年1月の岐阜県中津川市と長野県山口村に次いで2例目だそうです。今回の五霞町のケースは、住民アンケート実施から法定合併協議会設置までわずか半年足らずというスピード決定となりました。
以上の一連の流れについて特に思うのは、現在各市町村で合併に向けた論議が行われていますが、トップダウンでは住民の理解が得られないということではないでしょうか。あくまで住民が主体となって方向性を定めたという点で、今回の五霞町のケースはとても有意義であったと思うのです。しかし他方、「合併しない方がよい」「茨城県の市町村と合併した方がよい」とする意見も単に無視することはできないと思います。また幸手市の方では、隣接する埼玉県久喜市と鷲宮町との合併を先行させるべきだという声があるとも聞きます。合併によって行政サービスや利便性が低下する、町の風土や伝統が失われるといった不安は誰しも持つものであり、各自治体はこれらの不安を解消するだけの説明と実行責任が問われていると思います。
ところで本サイトは茨城県道道ということで、茨城県道へと目を向けてみることにします。
五霞町には2本の茨城県道が通っていますが、県境に位置する町ということもあり、いずれも県境を越えて隣の県とまたがっています。そのうちの1つ、県道268号(西関宿栗橋線)は埼玉県幸手市が起点で、途中で茨城県五霞町を通り、また県境を越えて埼玉県栗橋町で終点となります。
つまり、もし五霞町が埼玉県幸手市に編入合併されたら、この県道は茨城県をまったく通らなくなってしまうのです。そうなった場合この県道の運命はどうなってしまうのでしょう? そういった意味でも今後の動向が注目されるところです。
それから、そもそも利根川の南にある五霞町がなぜ茨城県の市町村に属しているのかという素朴な疑問があります。明治時代の廃藩置県についてもっと調べてみなくてはなりませんが、もしかして当時は利根川が今より南側を通っていたのかも知れません。いずれにしてもまだよくわかっておらず、時間があれば今後詳しく調べてみたいと思っています。