2002年8月10日 作成
この文章は、古渡橋への一種のレクイエムです。
古渡橋は茨城県道206号(新川江戸崎線)の上にある橋で、茨城県南部の江戸崎町と桜川村の境界を流れる小野川にかかる橋です。近くに古渡(ふっと)という名前の地区があるので、古渡橋の読み方は私の推定では「ふっとばし」または「ふっとはし」のいずれかではないかと思います。
この橋は現在は県道206号になっていますが、近くには国道125号が通っており、新古渡橋という名前の橋が架けられています。よって新古渡橋ができる前は、古渡橋が国道125号であったことは地形的に見て想像に難くありません。また県道206号にも現在はバイパスが完成されていて、古渡橋の周辺はほとんど地元の人々の交通のみとなっています。
私が古渡橋に初めて出会ったのは、茨城県道に興味を持ち始めてまだ間もない2001年5月のある真夜中のことでした。家で茨城県道路地図を眺めていたら、県道206号(新川江戸崎線)という県道が面白そうだと思い、翌日は予定がないこともあり、今から起点から終点まで(正確には、終点から起点まで)全線を走ってみようと出発しました。江戸崎町の県道起点(正確には終点)から地図の通りに県道をトレース。途中で国道125号に合流し、一部区間だけ重複になります。そして再び国道から分岐するとすぐに「古渡橋」という橋を渡るらしい、と思いながら、分岐点を左折し、すぐに私はヘッドライトに照らされた眼前に広がる光景に衝撃を受け、思わずその橋の手前で車を停めてしまいました。
あまりの光景に息を呑み、車から降りてその光景を眺めました。夜の暗い闇の中、私の衝撃はだんだん恐怖心へと変わっていきました。橋の入口の両脇には車1台がやっと通れそうな位に幅が制限されたブロック。そしてそのそばにはヘッドライトに照らされて不気味に浮かび上がった「古渡橋 老朽化」の看板…。
私はこの橋を渡るべきかどうか非常に悩みました。車で渡ったらひょっとして橋が崩壊してしまうのではないか? いくら県道が好きとは言え、県道のために命を落とすのはまっぴらだ。しかし数分後、橋の向こうから車がこちらに渡ってきたのを見て、橋を渡ろうと決意。無事に渡り終えることができました。もしカメラを持っていたら深夜にも関わらず間違いなく撮影していたと思うのですが、ちょうど当時はカメラが故障していて修理中で、写真を撮ることはできませんでした。
ちなみにその晩は、その後県道206号新川江戸崎線を全線走破することができました。自分の中では好きな県道ランキングの上位に一気に組み込まれることとなりました。それは今でも変わりありません(今のところ好きな県道第3位くらいかな?)。
私が古渡橋に対してこれほどの衝撃を受けたのは、
これらが重なり合ったという要因もあったと今では思っています。この橋との出会いが、私を茨城県道への道に大きくいざなってくれたのは間違いありません。
その1か月後、2001年6月に、私は修理から帰ってきたカメラを手に再び古渡橋を訪れました。今度は昼間の訪問です。
橋の入口まで行くと、やはり前回と同様「古渡橋 老朽化」の看板はありました。しかし2度目の訪問しかも昼間ということもあり、前回と比べて衝撃度は遥かに薄い気持ちでした。それよりは何だか「これは実に素晴らしいことだ」という気持ち、自分の中で茨城県道における最大の名所の1つになりました。
今回は橋を歩いて渡ってみました。霞ヶ浦からかすかに流れてくる潮の香り、橋のたもとには漁に使われるのであろう小舟があり、様々な鳥たちが水辺に戯れ、そして橋の上を数分に1台程度の割合で静かに通過する自動車。私はこの橋が本当に好きになりました。これからも機会があれば何回でもこの橋を訪れよう。そう心に決めました。
しかし再訪の機会はなく、時は過ぎていきました。その途中、2002年1月15日付のトップページの「カバーショット」のコーナーで古渡橋の写真を載せ、紹介させていただきました。この写真を載せていた半月の期間はアクセスカウンタの伸びが普段より多かったような…(気のせいかな)。また読者の方からメールをいただき、この橋は昭和14年に建てられた大変由緒ある橋であることがわかりました。
そうこうしているうちに、2002年3月になってしまいました。私はインターネットで茨城県庁のホームページを見ていました。そしてたまたま茨城県土木部の「道路工事情報」のページを何となく見ていたら、古渡橋の情報が載っていました。道路工事情報のページは無味乾燥な文面で、淡々と事実のみを伝えていました。
路線 開始 終了 時間帯 制限 一般県道 206 新川江戸崎線 2002/04/01 2007/03/31 終日 通行止め(古渡橋撤去工事)
がーん! 古渡橋が撤去されてしまうのか…。
非常にショックでした。私がこのホームページを見たのは3月29日。通行止めになるのは4月1日から。猶予はあと2日しかない。私はもう1度だけでも古渡橋を自分の足で渡りたかったのですが、その思いは果たすことができませんでした。
そしてさらに時は流れ6月になりました。私はやっと機会を得て、三たび古渡橋を訪れることができました。橋の入口で目にしたのは「全面通行止」の立て看板とバリケード。やはりもはや自分の足で再び古渡橋を渡ることは不可能になっていました。私はとても落胆しました。
しかし別の場所にあった看板には次のように書かれていました。
- お知らせ
- 古渡橋撤去・新設工事に伴い、下記の期間全面通行止となります。御協力をお願いいたします。
- 記
- 平成14年4月1日から平成19年3月31日迄
- 茨城県竜ケ崎土木事務所、茨城県江戸崎警察署、江戸崎町・桜川村役場
「古渡橋撤去・新設工事」ということは、ただ撤去されるだけではなく、新しい橋が架けられるということか。私は少し安心しました。きっと5年後には、60年以上にわたり幾万の人々を運んできた古渡橋に代わり、モダンに生まれ変わった「古渡橋」としてよみがえるのでしょうか。
さらに2002年8月、4度目の訪問。もう少し写真を撮ってきました。また現在の国道125号になっている「新古渡橋」の方は橋の銘板によると昭和59年5月竣工と書いてありました。昭和59年というと1984年。ということはそれまでは古渡橋が現役の国道125号としてがんばっていたということになるのかなあ。これってすごいことだと思いました。
以上、県道206号(新川江戸崎線)古渡橋について、長々と書き連ねてきました。この橋の記憶が少しでも多くの方々の胸の片隅に残って下さるならば、筆者としてこれ以上の喜びはありません。(おわり)
少し調べてみたら、全国には「古渡橋」という名前の橋が少なくともあと2つあることがわかりました。
橋のある場所 | 橋の名前 | 橋の読み方(推定) | 備考 |
---|---|---|---|
茨城県江戸崎町・桜川村 | 古渡橋 | ふっとばし | 上記のとおり |
山梨県都留市 | 古渡橋 | こわたばし | 詳しい位置は不明。下記参照 |
愛知県名古屋市中川区・中区 | 古渡橋 | ふるわたりばし | JR尾頭橋駅の近く。堀川に架かる橋。付近には古渡城址・古渡稲荷神社というのもあるらしい |
面白いことに、3つの橋はいずれも古渡橋なのですが、読み方が三者三様になっています。
なんだかとても親近感がわきます。姉妹都市というのがありますが、「姉妹橋」のような形で友好関係が結べたらいいですね。
さらに興味深いのは、このうち山梨県都留市の古渡橋は、茨城の古渡橋が撤去のため通行止めになるわずか3日前の2002年3月29日に完成し、渡り初めが行われたのだそうです。偶然と言えばあまりに偶然で、非常に驚いています。