県道道メモ(2009年10月14日)

茨城県の一般県道が認定されてから、今日でちょうど50年

きょう(2009年10月14日)からちょうど50年前の1959年(昭和34年)10月14日は、茨城県において現行の道路法に基づく一般県道289路線の認定が告示された日です。この日には同時に、旧道路法に基づく茨城県道314路線が廃止され、また今回認定された289路線の区域決定・供用開始の告示もなされました。昭和34年10月14日という日は、(その約5年前(昭和29年9月1日)に告示された主要地方道25路線の認定・路線変更と合わせて)現行の道路法に基づく茨城県道路線の全体像が初めて定まった日であり、多少の変遷がありながらも現在までその骨格が継承され続けているということを考えると、茨城県道にとってはまさにマイルストーンとなった日ではないかと思います。

この日に認定された一般県道289路線のうち、現在も存続しているのは(その後主要地方道へ昇格したものも含めて)181路線です。現在の茨城県道の全路線数は322路線ですから、半数以上の路線がきょう、めでたく50歳の誕生日を迎えたわけです。終戦から14年、戦後復興にまい進していた日本で産声を上げ、それから半世紀にわたり茨城県の交通インフラを支える一翼を担ってきたのだと思うと、感慨深いものがあります(ただし茨城県道の中にはこれらよりも長寿の路線がいくつかあり、最年長は県道14号(筑西つくば線)と同15号(結城下妻線)の2路線が大正9年4月1日生まれで、今年でなんと89歳になります)。

ちなみに昭和34年は、最近メディアでも伝えられていますが、王選手と長嶋選手のコンビ「ON」が誕生した年で、この年の6月25日には、いわゆる天覧試合で巨人の長嶋選手が阪神の村山投手からサヨナラホームランを打ったことで知られています。また同年9月26日には、伊勢湾台風が東海地方を襲撃、死者5041人を出す大災害になりました。10月14日の茨城県での一般県道認定は、この伊勢湾台風の惨事から18日後のことになります。それ以外にも昭和34年は、当時の皇太子殿下のご成婚、週刊少年マガジン・週刊少年サンデーの創刊などがあり、また茨城県の道路関連では、那珂川の河口にかかる海門橋の開通や、利根川の河口にかかる銚子大橋の建設着手があった年でした。

私が茨城県道に興味を抱くようになったのは、茨城県へ引っ越してきてからおよそ2年後の2000年(平成12年)の秋、ちょうど今頃のことでした。それから翌年(2001年)の6月1日に「茨城県道道」というウェブサイトを立ち上げ、今年で丸8年になります。でも茨城県道の多くの路線が今日50歳になったことに比べれば、私はまだまだ若造の段階です。また私は茨城で生まれ育った人間ではないので、過去の茨城の道路事情がどのような状況だったかという知識などに関しては、どうしてもハンディキャップを持っています。できれば茨城のことをより深くご存知の方々(いわゆる「ネイティブイバラキアン」の方々)にお話を伺う機会があれば良いのですが、なかなかそういった機会に恵まれずにいます。

最近の私は、実地調査は相変わらずおろそかになっていて、主に資料調査を中心にやっています。今年に入ってから水戸市の茨城県立図書館には何度か足を運びました(本当は毎週でも行きたいのですが、なにしろ電車で片道1時間半もかかるので、時間とお財布と相談しないといけないのです…)。また同じ水戸市にある茨城県立歴史館という所にも先ごろ初めて行ってきまして、昭和40年代〜50年代の茨城県の道路に関する行政資料を調べてきました。ただそれぞれの資料調査活動が自分にとってまだ単発的で、それを統合させてひとつの成果物を出すというのがなかなかできず、本サイトで紹介する段階に至ることがまだできていません。今後も少しずつ調査を進め、本サイトで成果を紹介できればいいな、と考えています。

個人的には、それぞれの県道路線にはこれからも長生きしてほしいのですが、将来にそれぞれの県道路線がどのような運命をたどることになるのかは正直言って全くわかりません。茨城県道の命脈が一気に途絶える日がもし仮にあるとすれば、最も可能性が高いと思われるのは「道州制」が導入された日ということになるのでしょうね。幸いなことに現在のところ、私は茨城県から他県へ引っ越す可能性が非常に少ないので、これからも茨城県道を見つめ続けることがどうやらできそうです。頻繁な更新作業はこれからもなかなかできないと思いますが、今後とも「茨城県道道」をよろしくお願いいたします。