2001年4月4日 作成
Kendodo is a Japanese word which means The Way of Prefectural Highways, such as Judo is the way of gentle, Kyudo is the way of archery, and Kado is the way of flower arrangement.
およそ数百万年前に人類が地球上に生を受けて以来、人類はさまざまな発展を遂げてきた。平均寿命は古代に比べ約4倍になり、数々の新しい交通手段の発明により離れた場所へ移動するのも楽になった。しかし人類は有史以来依然としてある制約のもとに置かれている。それは「時間」という軸である。少しでも長く生きたいという願望は医学の発達を促し、限られた時間内に目的地へたどり着きたいという願望は、人力車・自転車・自動二輪車・四輪自動車と発明のステップを登っていった。人類の発展の歴史は「時間との闘い」の歴史であったと言っても過言ではない。
さて、高度に発達した現代社会において、人類が移動の手段として用いる最もポピュラーなものの一つに自動車がある。ある人間が誕生してからしばらくの期間は心身の教育に充てられ、来るべき大人社会の一員となるための準備を行う。やがて18歳になると、多くの人間は社会の一員となるべく、自動車の免許を取得する。晴れて免許を手に入れた者のうち、ある者は生活の手段として車を使い、ある者は自動車の持つスピードに魅了され首都高あたりを走り回り、そしてある者は自動車を使った旅行をして人生の経験を積む。
この最後に述べたジャンルに属する人々のうち、さらにほんの一握りの人々は、自動車による旅行を通して「国道」の持つ魔力に取り憑かれる場合がある。国道とは名ばかりの様々なとんでもない姿を目の当たりにした時、幼い頃に抱いていた国道に対するイメージがガラガラと音を立てて崩壊するのだ。そして人間はさらなる国道の魔力を追い求め、北へ南へと駆けずり回ることになる。そしてその中のさらにある者は、「日本の国道を全線踏破してみたい」という欲望に目覚め、夢を達成すべく努力するのである。
しかしこの夢を達成するのは非常に困難である。日本の鉄道を全線踏破した者は存在するが、国道全線踏破はそれよりはるかに難しい。北海道・沖縄はもちろん、佐渡・対馬・隠岐・五島列島、果ては石垣島まで行かなければならない。さらには厳密に全線を踏破するためには、例えば国道291号清水峠など各種の自動車通行不能区間を徒歩により遂行する必要がある。
人間は生まれながらにして時間との闘いを強制されている。どんなに抵抗を試みても、やがて良き社会人・家庭人となるための自分の将来を考えるべきときがやって来る。そのとき、文字通り日本列島を網の目のように覆っている国道網を前に、多くの人々は疲労感を募らせ、やがて国道の道から遠ざかってゆく。
しかし喜ぶべきことに、人類はもう一つの楽しみを持っている。それに気付く者は少ないが、国道に勝るとも劣らない魅力と夢を持ち、なおかつ気軽に誰でも楽しみを分かち合うことができるものである。それが「都道府県道」(以下「県道」と略す)である。
まずは自分の住む都道府県の県道を走ってみよう。大都市圏を除けば、その多くは田園地帯の中を爺さんが軽トラックをのんびり走らせているような、誠にのどかな道である。市街地を通る区間でも、多くは古来の街道の雰囲気をそのまま残した景色が味わえる。また国道ではほぼ絶滅しかかっている未舗装区間や幅員狭小区間も数多く原形をとどめている。国道のトンデモ度が現在急速に失われつつある今日、忘れていた日本の原風景を思い出させてくれるのではないだろうか。
県道に幾ばくかの興味が湧いてきたら、地図や資料に目を通してみよう。現在各都道府県では県道番号を示す案内標識「ヘキサ」の設置が急速に進んでおり、また市販の地図も県道にいたわりの心が感じられるものが多くなっていて、初めての人でも気軽に楽しめる。1本の県道を起点から終点まで一気に走るのも乙なもので、しかも大抵は日帰りで十分対応可能である。さらに欲望が湧き上がった人は、一つの県のすべての県道を全線踏破する夢にチャレンジするのもよい。地域によって難易度は異なるが国道全線踏破よりは楽である※(1)。県道の道を極める。それこそが「県道道」である※(2)。
人類は時間との闘いの中で常に進化し、また社会は常に発展を続けている。将来には国道は完全に整備され、トンデモ国道は死滅してしまうかも知れない。またそれぞれの個人においても、「時の流れ」という敵に対して「社会の中で生きる」という名の格闘を続けて行かなければならない。そんな中、手軽に楽しめてなおかつ奥が深い県道道への旅に、君も参加してみようではないか!