2008年7月〜12月のカバーショット

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写真一覧

(2008年12月1日) Number 157

筑波鉄道・東飯田駅跡に展示された『「風の色」のパズル』

ここは、1987年に廃止され、現在はサイクリングロードに転用されている筑波鉄道(岩瀬駅〜土浦駅)の東飯田駅の跡地です。現在も形を残すホーム跡に、頭が白くて茎が茶色い猫じゃらしのようなものが一列に並んで生えているように見えますが、これは猫じゃらしではなく芸術作品です。

桜川市の旧大和村地域では11月30日まで「雨引(あまびき)の里と彫刻2008」という野外彫刻展が開かれていました。石の産地として知られ、石材業者が多い同地域では、彫刻家たちが移り住んで作品づくりにいそしむようになっています。そのような作家が中心となり1996年から始まったイベントは今回で7回目。今年は42人の作家による作品が市内各所に展示されていました。写真はその中の1つ、志賀政夫さんによる『「風の色」のパズル』という作品です。

訪問した日はあいにくの天気でしたが、筑波山を望むホーム跡で、風がそよぐたびにかすかに揺れる作品を眺めながら、かつてここに列車が走っていた頃の情景を想像してみました。


(2008年11月1日) Number 156

県道173号(大洗公園線)の上に立つ大洗磯前神社の鳥居

大洗町の県道173号(大洗公園線)をまたぐように建てられている、大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)の一の鳥居。大洗磯前神社は西暦856年(斉衡3年)の創建で、国造りと医薬の神である大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)がまつられています。

この大鳥居は高さ15.6メートル。千葉市に住む医師が奉納し、1963年(昭和38年)12月に完成しました。医師はそれまでこの神社とは縁はありませんでしたが、ある日あてのない旅をして電車に揺られていたらたまたま大洗町まで来てしまい、大洗磯前神社へたどり着きました。宮司から医薬の神である祭神の話を聞き、医師である彼はその偶然さに感動。この大鳥居を奉納したと言われています。(参考資料: 朝日新聞茨城版2005年3月4日の記事「わがふるさと遺産 大洗磯前神社」)

県道大洗公園線はこの大鳥居のある交差点を起点とし、太平洋を間近に見ながらドライブできる延長約2.4キロの風光明媚な県道です。


(2008年10月4日) Number 155

県道226号(鶏足山片庭線)にある「ゆっくり走ろう茨城県!」
笠間市の県道を通っていたら、でっかく「ゆっくり走ろう茨城県!」と書かれているのを見つけたので、思わず立ち止まりました。ここは山あいの県道で、付近には大規模な採石場があり、道路をまたぐ輸送管に書かれていました。ビックリマーク付きなのが何ともいい味を出しています。

(2008年9月1日) Number 154

国道123号・那珂川大橋のたもとで川遊びを楽しむ人々
暑かったお盆休み、国道123号の「道の駅かつら」へ立ち寄ってみました。道の駅かつらは、茨城県を代表する河川の1つである那珂川(なかがわ)に接していて、水の少ない日は駐車場から河川敷へ歩いて下りることができます。河川敷ではテントを張ったり、川遊びを楽しむ人たちでとてもにぎわっていました。奥に見えるアーチ橋は国道123号の那珂川大橋です。

(2008年8月3日) Number 153

静岡県道29号(梅ケ島温泉昭和線)に立てられている「県入りヘキサ」

昨年、静岡県道を通っていた時に撮影した1枚。特に普通と変わらないヘキサに見えますが、よく見てみると、県道番号の下に書かれている県名が「静岡」でなく「静岡県」となっています。これが一部のファンの間で有名な(?)「県入りヘキサ」というもので、希少価値が高く珍重されているのですが、全国各地で結構たくさん見つかっているようです。

ところで茨城県ではこの「県入りヘキサ」があるかというと、私は過去に1つだけ、文字ヘキサ(県道番号でなく路線名が書かれている標識)のもので見つけたことがありました。県道206号(新川江戸崎線)に立てられていたものです(下の写真は2002年8月7日に撮影)。しかし現在は、このヘキサは通常の数字ヘキサに付け換えられてしまったため、消滅しています。

以前、茨城県道206号に立てられていた「県入りヘキサ」

でも、茨城県のどこかには、他にもまだ「県入りヘキサ」がひっそりと立っているかも…。皆さんも茨城県道をドライブ中に探してみてはいかがでしょう。


(2008年7月1日) Number 152

牛久市観光アヤメ園に咲くアヤメと、稲荷川にかかる三日月橋

梅雨の季節になると訪ねてみたくなる橋があります。牛久沼(うしくぬま)へ注ぐ稲荷川の最下流にかかる三日月橋(みかづきばし)は、この先にある新地町という集落からは三日月が山の影になって見えず、この橋までやってくると山が途切れて三日月が見えたことから名付けられたと言われています(参考: 茨城新聞2007年9月4日の記事)。橋のたもとには牛久市観光アヤメ園があり、私が訪ねた時は見頃は若干過ぎたようでしたが、三日月橋をバックにアヤメやスイレンの花が鑑賞できました。

牛久沼にはカッパにまつわる物語が多く伝えられており、また沼のほとりに居を構え生涯を過ごした日本画家の小川芋銭(おがわうせん、1868–1938)がカッパを描いた作品を多く残したこともあって、牛久市ではカッパを街おこしのひとつにしています。三日月橋の欄干にもカッパの像が建てられていました(カッパの像の写真)。

この付近は護岸工事などがあまり行われておらず、牛久沼の原風景が橋と見事に調和しています。三日月橋のたもとにたたずむと本当にカッパが出てきそうな、幻想的な気分になります。雨が似合う橋、そんなイメージが三日月橋にはあります。