2006年10月〜12月のカバーショット

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写真一覧

(2006年12月3日) Number 133

栃木県道28号(大子那須線)の末端地点から眺める八溝山系の山々

茨城県道・栃木県道28号(大子那須線)は、茨城県大子町から県境を越えて、栃木県大田原市(旧・那須郡黒羽町)と那須郡那須町との境界にて交通不能となります。この写真はその交通不能区間の開始地点で県道28号を振り返ったものです。遠くに見えるのは茨城県と栃木県との県境になっている八溝山系の尾根です。

栃木県道28号(大子那須線)の末端地点に立てられている看板

ついでに同じ地点で180度振り返って撮影した写真も添付します。交通不能区間の開始を示す看板が立てられていました。(画像をクリックすると拡大表示します。)


(2006年11月15日) Number 132

国道461号旧道の月居トンネル

袋田の滝に近い国道461号の旧道にある月居(つきおれ 又は つきおり)トンネル。竣功は明治19年と言われており、新渡戸稲造の兄・七郎が技師として建設工事に携わったそうです。

明治17年、アメリカ留学を前にした稲造は、月居トンネル建設工事のため大子町袋田へ赴任していた七郎の元を訪ね、袋田温泉に宿泊しました。弟の留学を喜んだ七郎は、せん別として稲造に300円を渡したそうです。そののち稲造の留学中に七郎は46歳で亡くなったため、この時が兄弟の最後の別れとなりました。

1世紀近くの間、人々の往来を支えた月居トンネルは、昭和51年に新月居トンネルが開通した後は旧道となり、現在は信号機が設置され交互通行となっていますが、車両の通行は可能となっています。


(2006年11月1日) Number 131

里川にかかる央橋(なかはし、昭和12年11月竣功)
久慈川水系の里川にかかる央橋(なかはし、昭和12年11月竣功)。橋の名前は、この道の上流側と下流側にもそれぞれ別の橋があり、その中央に建てられたことから名付けられました。鉄筋コンクリート製の重厚なアーチは、当時の技術の粋を集めて建造されたものと思われます。現在は国道349号バイパスが開通して旧道となり、川のせせらぎが聞こえる中で静かなたたずまいを見せています。

(2006年10月15日) Number 130

久慈川にかかる幸久橋(昭和10年8月竣功)
久慈川にかかる幸久橋(さきくはし、昭和10年8月竣功)。竣功から70年以上経った今でも、現役の国道の橋として日々の人々の往来を支えています(写真左側にあるもう1本は側道橋)。

(2006年10月1日) Number 129

土浦市の桜川にかかる匂橋(においはし)の欄干。「和」の文字が変。
前回掲載した、土浦市の桜川にかかる匂橋(においはし)の欄干の写真です。「昭和37年2月竣功」と記されていますが、よく見ると「和」のへんとつくりが逆になってる。これって意図してこのように書いているのかなあ?